せたカフェキッチン

2007年4月25日OPEN 2011年12月28日CLOSE

東京都世田谷区経堂で2人で何も分からないところからスタートしました

経堂にしたのは、私たちが東京農業大学卒業で、慣れ親しんだこの場所が
大好きだったのと、大好きな先輩や同期や後輩が、いつでも集まれる
そんな場所にしたかったから。

経堂という場所が大好きで、そこにいる人もたちも大好きで、
そんな人たちがほっと一息つけるお家みたいにしたかった。
「ただいまー」みたいな
実際そんな感じのお店になったような気がします。

お兄ちゃんやお姉ちゃん、いとこや叔父さん、おばあちゃんが
沢山できたみたいな、幸せな4年と8か月でした。

そして店を閉めてからわずか2週間という早業で
縁もゆかりもない北海道に2012年1月13日に移住しました。

しかも、わたし(女)は閉店後39℃の熱を出して倒れ、そのまま年越し!
2週間近く寝込んだあげく、ギリギリで飛行機に乗るという状態…

なので、世田谷のお店の最後の掃除してません。
多分号泣しちゃってたからいっそ良かったのかも…なんて思いつつ…
北海道に移住してきてからも経堂の時の写真が見返せるようになったのは
何年も経ってから。

お金がなくて、お店も全部自分たちで作ったし、夜中までペンキ塗ったし、
お店自体が初めてだから色々なことで泣いたし笑ったし、
沢山の常連様の顔が今も浮かんできます。

最近になってやっと、2人ともお店のあった場所に
行ける気がするようになりました。

せたカフェキッチンぷらす

2013年6月15日OPEN 2020年2月28日CLOSE


縁もゆかりもない北海道札幌市白石区に2012年1月13日に移住

お店をしない人生を歩んでみる?と思ったんですが、
どうしても、あの幸せだった記憶があって
もう一度始めてみようとなりました。

いつもここから始まるんだねと笑いながら基礎工事(電気水道ガス)以外は
基本自分たちで作る作業からスタート。
2人で夜中までペンキを塗る日々に戻りました。

北海道移住のきっかけは「東日本大震災」
新たにお店を始めるなら…とメニューを全部見直しました。

世田谷の時は普通の飲食店で、出汁を毎朝とってお吸い物を出しつつも
市販のドレッシングやケチャップを使ってました。

ですが、北海道で出会った食材はとても驚くほど美味しくて、
原材料、産地、育成方法を厳選し、ドレッシングやケチャップなど
調味料も全て自家製で作ることにしました。

何もかも自家製にするのは本当に手間がかかりますし、初めてのことで
試行錯誤の連続でしたが、それでも、それを喜んでくださる方がいて、
白石区でも沢山の常連様に出会いました。

全く知らない土地でも素敵な人に出会えるのって、
飲食店のすごいところですね

ですが、わたし(女)が2017年に過労とかなんやかんやで倒れてしまいして…
日常生活が送れない数か月の後、お店再開だったのですが…
実は、お店と家の往復しかできない生活が2年くらい続きました…。

体調の事もあり、このままお店を続けるのは無理なのかもと話し合い
もう少しのんびりできる場所への移転を考え始め、長沼に出会いました。

杉山家の台所 by setacafe-kitchen

2020年10月1日OPEN 


こんにちわ長沼町

コロナ禍に移転してきました。
こんなに長く続くとは思っておらず、最初はシェフが1人で回せるような
お店を設計しました。お昼はパッと食べて午後の仕事に行けるような、
夜は仕事後にほっと一息つけるような
そんな世田谷の時のような雰囲気のお店を目標にしていたのです。

そのために自分たちで改装しました。
自分たちで水道管も通しました、断熱材も貼って、床も貼りました。
壁も塗って、天井に穴をあけて照明を付けて…
(シェフが電気工事士の資格を持ってます)

でも、それは叶わなかったので
今はお持ち帰りのお店をしています。

ほとんど何も宣伝していなかったのに、お友達の紹介やリピーターさんに
少しづつ広がって、有難すぎる事にご予約を頂けるようになりました。

白石の時からずっとやっているおせちも、コロナ禍で更にパワーアップし、
真空パック個包装での配送もできるようになりました。

まだまだ試行錯誤の最中ですが、今までやってきたことを土台に
自分達の料理を沢山の方に届けられるよう、
ゆっくりやっていきたいと思います。

お持ち帰りのお店でも、やっぱり目標は「生活に寄り添う」
そんな風にいたいなぁと思います